2013.09.20 102歳のお悩み
ご無沙汰ですー。

週末~月曜の連休にかけて、山形の実家に帰っておりました。
主目的はおかんの一周忌。
しかし、主に時間を割いたのはやはり、実家の掃除…。

うちには、ばあさんが持ってきた仏壇があるのですが、ばあさん以外ほとんど誰も拝んでなかった。
しかし、おかんが亡くなった後、おとうはガラにもなく仏花を切らさずに買って飾り(ただし水が干からびてることが多い)、今回は初盆&一周忌ということで、提灯なんかも買っていた。

しかし生前、うちのおかんは「千の風になって」で有名な秋川雅史の大ファンだったので、
あの歌の歌詞にあるべく
「私のお墓の前で 泣かないでください~そこに私はいません 眠ってなんかいません~」
を実践していると思われる(?)ので、
おとうは「法事とか一生懸命やっても、ここにいないんだろな…」
とポツンと言っているのを聞いて泣けた。

そう考えると、お葬式とか法事とか、お墓や戒名にお金をかけるとか、
本人のためというよりも、やはり残された者の心を癒やす行為ということになる。
カネかけすぎだろ…と思うところもあるが、おとうが自分で稼いだお金でやっているので、
気の済むまでやっていただいていいんですけどね。

しかし、亡くなる(予定の)本人から、
「私が死んだら戒名は9文字にしてくれ」
だの
「毎年2回は墓にお参りに来て、毎回お寺に◯◯万円寄進しろ」
だの、やいのやいのと言われると、それは遺族にとって癒やしの行為ではなく単なる義務になりそうで、マジでムカッとくる。

そう、そんなこと言うのはうちのばあさん(102歳)です。

今回、かなり久しぶりにばあさんのいる老人ホームへ行った。
台風の中、ヘルパーさんに言われた必要なものをいろいろ買って、おとうと一緒に届けてきた。

記憶が曖昧になったり、勘違いが多かったり、耳が遠かったりで、魂の何分の一かはこの世にいないような雰囲気をただよわせてはいたが、歳のわりに頭ん中はまだ大丈夫らしい。
アタシ達が行った時は、個室でベッドに座ってほけーっとしていた。

「困ってることはないか?」と聞いたら、
「私は耳が遠いから、友達ができない」
と嘆いていた。
おとうは「だったら筆談でもすりゃいいのによ~」と言っていたが、
どんな世代でも女のおしゃべりというものは、テンポに合わない奴はさっさと存在を無視されるもの…と思う。

この施設で100歳超えはうちのばあさんだけらしいし、みんな年下、多分80歳代が多い。
同じ老人でも20歳も年齢が違ったら、耳が聞こえてても話題が合わないと思うが…。

今日のぽこたん:目の前でリラックスしてくれることが多くなった。
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ただしまだ鼻先しか触らせてくれない。
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