昨晩から「自我」について考えています。
(ネコに逃げられてても、考えることは考えるんですよ、えええ。)

「アタシってマジメなんかなぁ。」
と何気なく送ったメールが、相方さんの論理的思考に火をつけた模様。
なんと心配されちゃって電話がかかってきた。ありがと。

「『マジメ』の種類なんかいっぱいあるやんか!態度、服装、考え方…。
少なくともきちゅーは渋谷のギャルみたいには見えん。(当たり前だろうが)

とにかく一言で答えられない難しいことを夜中にケータイのメールで送るな!

0時過ぎたら自分のこと考えるのはスッパリ止めて寝ろ!0時過ぎた思考はぐるぐる思考になって、百害あって一利なしや!」

…とな。

いや、単に「マジメじゃないんちゃう?」とか「マジメなんでない?」みたいな軽いノリの返答を期待してただけなんですけど…
『マジメ』ってそんなに重いテーマですか?ちょっと相方さんの反応に過剰感を感じてビックリ。
(と言ってるアタシが昨日のミスターのメールに過剰反応しすぎたな)

「あと、マジメとか他人がどう思おうが関係ないやんか。
きちゅーは他人の評価を気にしすぎや。」
とも言われた。

うーーーーん。そうと言われればそうだろうなぁ。
ナナメ45度上にもう一人の自分が浮かんでいて、自分を常に客観視、というか監視されてる気がする(これは病気前から)。

でもこれって、みんながそうだと思ってた。(怖いってか)
それは、「自分」って周りのみんなに生かされてると思うから。

自分はいっぱいいる気がする。
家族の中の自分、長女としての自分、姉としての自分、社内に対する自分(上司、同僚、後輩、取引先によってバラバラ)、友達それぞれに対する自分、相方さんに対する自分、ニャニゴに対する自分、知らない人に対する自分…。

「対他人」で自分は生かされてきてるって思ってる。
じゃないと、自分が存在しないと思うくらい。

でも、「自分に対する自分」(自我)って深く考えたことなかったなぁ。
相方さんは力説するけど、ゴメン、いまいちその重要性がこの歳でよく分からない。

だって外の世界、外の他人あっての自分でしょ?
じゃないと、自分って肉体的にしか存在しない気がする。

ぶっちゃけ、病気で「消えたい」と思ってもそれを阻止する力は「自分は消えたくない、これは病気なんだ」と思うより、「周りの人が悲しむから、周りに迷惑をかけるから消えたらダメだ」っていう考えで阻止しているのが現実。
だから薬を飲む。

相方さんは言う。
「ポーカーフェイスで店員に対応したって、お前はいちいちそれを気にする必要はない。だって奴らはお前の財布からカネを引き出すために笑顔を作ってるんだから。

友達や家族だってそうや。たまには自分に対して理解が少なかったり、ガッカリすることを言うこともあるやろ。
だって友達や家族はお前やない。お前のために生きてるんやなくて、まず自分のために生きてるんやから。

人の言うことをいちいち気にしてたら、一人で立って生きていけないし、病気もよくならへんで。」


今日、ヤボ用で溜池山王(赤坂)まで行きました。
アタシは暑かったしワンピース姿で行ったけど、周りの歩いてる女の人は皆ビジネススタイル。平日の昼間やし、当たり前か。

実は内心すごく恥ずかしかった。
「ああぁ~こんなビジネス街に一人バケーションやんか。自分は休職してるからこんなんで来ちまったけど、みんながんばってるわ…。」
と思ったら急に具合が悪くなった。
別に周りはなーーんも気にしてないと思うけど。

やっぱアタシは周りを気にしすぎ?

相方さんが言うのは、こういうことなのかなぁ?
自分の軸を自分に置くってどうしたらええんやろ?と考えながら帰ってきたら疲れて寝ちゃいました。

とにかく相方さんのアドバイス通り、0時過ぎにいろいろ考えるのはよそう。

今日のニャニゴ:キャットタワーの下は案外風通しがよいらしい。
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さすがに今日は扇風機出しました。でもコタツしまってません。自分の部屋季節感ゼロ…
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